鷲谷 修也選手からのメッセージ

鷲谷修也です。ピッチャーガエシの施設を、オフの時にお借りして大変助かりました。2階トンネルでは、バッティングなどを中心にすることができました。アメリカには、ここまで充実した施設はなく驚きました。バーチャルのマシーンも、試合感覚で打つことができ、たくさんの方々が強打者になっていくことでしょう。打撃は反復練習が大切です。
皆さんも、ピッチャーガエシに通って、充実した練習をしてください!

【鷲谷 修也(わしや なおや) プロフィール】

北海道登別市出身の野球選手。駒大苫小牧高野球部時代、2005年の第87回全国高等学校野球選手権大会に出場し、見事優勝メンバーとなりました。翌2006年にも、第88回全国高等学校野球選手権大会に出場、レギュラーとして準優勝を勝ち取りました。
同期には、楽天イーグルスのマー君こと田中将大がいます。

駒大苫小牧高校卒業後の2007年秋に渡米し、米国の短大野球で名門として知られるカリフォルニア州のデザート短大に進学。同短大では中軸で右翼手として活躍し、同州南部の短大などが集まるリーグ戦で2009年は打率.308、3本塁打、21盗塁という見事な成績をあげました。

2008年のドラフト会議では、ワシントン・ナショナルズより42巡目で指名を受けましたが、当時は「気持ちの準備ができていない」として指名を辞退。しかし、2009年のドラフト会議で再びナショナルズから14巡目で指名され、マイナーからメジャーリーガーを目指す道を選択しました。

ところがルーキーリーグで40試合118打数29安打0本塁打14打点12盗塁 打率.246の成績で解雇を受け、日本に帰国。2010年7月15日、石川県のプロ野球独立リーグ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)所属の石川ミリオンスターズに入団。その後、右肩痛などの影響もあり2011年5月4日、任意引退という形でミリオンスターズを退団しました。

今後は、大学への編入試験を受験し、語学を活かした専門分野を学びたいと、新たな目標へ向かってスタートしました。

努力の甲斐あって、2012年 上智大学外国語学部英語学科に入学しました。残念ながら、規則により野球部には入れなく、陸上をやっています。

北海道の鷲谷ファンは、今後も応援を続けていきます!

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